日々の祈り

2013.12.24.10:00

新暦12月24日(旧暦11月22日 子)

いつも真心のお力添えありがとうございます。
26日の昼1時から、夫から中継配信にてお伝えしたい事があるという事で配信の予定をしております。視聴先は、祈りの和TVとなります。どうぞご視聴下さいませ。
本日は、先日12月15日 愛知で行われました勉強会&祈り合わせの際に伝えられました言葉を書き起こししていただきましたので、伝えられた言葉の部分を抜粋してお伝えさせていただきます。

人は今もなお 真剣に物事を考え 真剣に未来を歩もうとしている
確かな ことであろうか
いやそれは 確かであろう
無論それは確かな者もいれば 確かでない者もいるであろう
人はそのように千差万別であり 一人一人 変わりゆくものである
一人一人が 変わりゆくことにより それは多くの者が変わりゆく結果を
導くこととなりゆくのである
がしかし 人はなかなかにして 変わらぬもの
いや 自分が正しいと思うからこそ 変わることが難しいのである
がしかし 本当にそれは そうなのであろうか
自らの心 自らをしっかり見つめる心を持ちゆくことにより
その者はいつでも 変わる機会を持ちゆくことができるのである
人は 今もなお 日々の生活の中 暮らしの中において
多くの物事の中に埋もれようとしている
けれどもその結果は 自らが生み出したもの 編み出したもの
導き出したものでありゆく
けれども人々はそれの その中において その世の中において
自らの答ええを見つけ出しゆかねばならないのである
がしかし やみくもに歩んだとしても それはとても難しいものである
がしかし だからといって 見えぬ存在に 神々にその答えを求めようというのは
また少し 意味が違ってくるのである
人は 人々の出した結果に その中に 埋没している
しかしながらその埋没を解きほぐしゆくのは ほかならぬ人間なのである
人は 人が編み出したものに対して 埋もれようとしている
人は 人の中で埋もれようとしている
分からなくなろうとしている
がしかし その中において 見えない存在へと 神々へと神へと 手を差し伸ばし
そして 助けを求めている
が けれどもその差し伸ばされた手に いくらそれを教え伝えようとしても
やはり 分からぬ者は 分からないのである
何故ならばそれは 自らが出した答え 自らが求めている答えとは 違うからである
自らが求めているものでなければ それは 答えにはならないのである

差し伸ばした手を いつまでも掴んでいたとしても
どのように伝えることができるのかと 話し申し伝えたところにて
それが求める結果や 求める答えでなければ 人の子らは皆それを 
答えだとは認めない
答えだとは受け止めないのである
そうそれが 人の子であろう 人間であろう
でも その答えは本当に 答えではないのだろう
そうではなかろう 
ただただ自分の 己が心に 合っているか 当てはまっていないか
ただ それだけなのであろう
けれども 本当にそれが当てはまっていれば全てがそれが 答えなのであろうか
そうではなかろう
けれども ある意味それは その者がもう答えを 導き出しているということにも 
繋がるのではないだろうか
認めてほしいがために 我らに手を差し伸ばしているのか

認めゆくのは 我らではない
見えぬ存在でもなく 神々でもない
自分で 人間が自らで 自らを認めなければ 
誰が認めたとしても 認められていないと感じるのであり 受け止めるのである
日々の心の中に 迷いがあることは 当たり前であり 
その迷いは 我らの言葉だからといって 払拭されるものではない
全てが なくなるものではない
人は 人の中において 人から不安を受け
人の中から自らの中から 不安を生み出してゆく
人々は またとないチャンスを 受け止めたのだ
自分の心から 自分の思いから 
何が生まれているのかを 気付くことができる筈であり
そしてまた 自らの内側が 何を考え 何を思っているのかを
気付くことができる筈である
チャンスは 一度きりではない
けれども 逃したからといって とても大きな年月が巡ってくる
そうまた次来るのは 大きなチャンス
大きな時期は また 長き歳月を かけてゆかなければならない時かもしれない
だが どうか 忘れないでいてほしいのだ
人は自ら 自らの心をきちんと 見つめることができる
自らの答えを きちんと理解することができる
自らの考えを 客観的に見ることもできる
忘れないでいてほしいのである
日々の暮らしは 営み続けゆかねばならぬもの
けれどもその中において 何が大切なのかを忘れてはならない
また 何を 何を見失ってはいけないかも忘れてはならない
変え続けゆかなければならないのは ほかならぬ世の中でもあるが
人々の心でもありゆく
しっかりと 善き未来を見つめられよ
そして 忘れることなく歩み続けゆかれよ


***
※以下は、書き起こしていただきました。伝えられた後にお伝えしました私なりの解釈です※

伝えられていた感覚というのはですね。例えて言うと、悔しいというのが一番近い感情になると思います。なのでちょっと涙が出てきているんですけれども。
ご神事してゆく中で、見えない存在の人達が本当に色んなことを伝えてきてくれています。それをどうか多くの人に、伝えてほしい、気付いてほしいというのが、一番その方達の切なる願いであります。今この伝えてきてくれた存在、神様も、本当に言っても言っても理解してもらえないという、伝えても伝えても分かってもらえないという、その、凄い悔しさが溢れてきています。悲しいというよりも、どのようにしたら理解してもらえるのか、どのようにしたら人々に伝わるのか、どのようにしたら人間にその意味が、自分達の想いが伝わるのかということをとても伝えられてきています。
人間それぞれが本当にそれぞれの考え方で、生活環境も育ってきたことも違う、考えも本当に大きく違っているのは、見えない方々は本当によく理解しています。だからこそ、人それぞれであるということを伝えてきていたのだと思いました。
なので、多くのその言い方や、多くのその表現の仕方、また多くの言い回し方を使って、分かってほしいがために様々なことを伝えてきています。だけれども何故それでも理解してもらえないのだろうかというところに、本当にその悲しさというよりも逆に悔しさ、それは自分たちがどのようにしたら伝えゆくことができるのだろうかというその悔しさをとても、今日伝えてきたその言葉の中に、感情というか気持ち、感覚が伝えられてくるんですけれども、それがとても伝えられてきたものでありました。
***

本日も真心のお力添えを宜しくお願い致します

比嘉りか
情報サイトリンク

◆地震情報《気象庁》
◆火山情報《気象庁》
◆台風情報《気象庁》
◆警報・注意報《気象庁》
◆海外の地震情報《JIS》
◆マーケット情報《ロイター》

イベントのお知らせ
セレモニーバナー
最近の記事
関連サイト
検索フォーム
年別アーカイブ
携帯用QRコード
QR